さかい のりこ
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酒井法子
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酒井法子 さかい のりこ サカイ ノリコ Sakai Noiko のりぴ~!!
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酒井法子 写真 Sakai Noriko Photograph
さかい のりこ
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◎・ 酒井 法子 ( さかい のりこ )
本名 = 高相法子( たかそう のりこ ) ・・・ ( 旧姓・酒井 )
1971年、2月14日生まれ。 福岡県福岡市 出身。 血液型 ( B型 )。
1971年 の世相 )
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福岡に生まれるが、家庭の事情により小学校時代の6年間を埼玉県狭山市で過ごす。
6年生の三学期に帰郷して福岡市立大名小学校を卒業。
福岡市立舞鶴中学校ではソフトボール部に所属し、3年生になった( クラスは3組出席番号は33番 )1985年の夏に9番ライトで県大会で準優勝を果たした。
1985年10月26日、「 '86ミスヘアコロンイメージガールコンテスト 」 で、BOMB!賞を獲得した。
ちなみに、グランプリは 水谷麻里、準グランプリは 岡 寛恵(おか ひろえ)・現在は 岡谷章子、Momoco賞は 畠田理恵 が受賞。
ただし、当初このコンテストにBOMB!賞なる賞は存在しておらず、現実にはオーディション落選後に「 サンミュージック 」の副社長が 「 彼女の 」 才能を試してみたい 」と願い出たことでデビューの運びとなった。
BOMB!賞はその際に急遽新設され、11月22日付で贈られている。
1985年12月、福岡市から上京し、所属事務所の社長宅で下宿生活を始める。( 福岡市立舞鶴中学校から東京の中学へ転校。 ) 先輩の故岡田有希子さんには洋服を貰ったりして可愛がられたという。
1986年 1月開始のドラマ『 春風一番 ! 』でデビュー。( 収録は前年の 1985年12月から開始されているので、芸能活動は上京直後からになる ) ほぼ同時に雑誌『 Momoco 』 の 「 モモコクラブ 」 にも名を連ねる。桃組出席番号1482番。
その後、4月29日のイベント 「 '86 MOMOCO PARTY 」 において開催された「 第2回ミスモモコクラブ」オーディションでミスVHD賞を受賞( この時のグランプリは 畠田理恵 )。
これにより当時売り出し中だった VHD のイメージガール的な位置を獲得し、11月21日VHD 『 YUPPIE 』(?)、 で世界初のVHDデビューを果たす。
このVHDの挿入歌『お願いダーリン』を非公式のデビュー曲とする見方もあるが、正式なレコードデビューは1987年になってから。
同期に BaBe、 坂本冬美 らがいる。
レコードデビューと同時に若者を中心に人気を獲得、キャッチフレーズは「おきゃんなレディ」。
その年の 日本歌謡大賞 ・最優秀放送音楽新人賞を受賞する。曲名はサードシングルの「 ノ・レ・な・いTeen-age 」。
(ちなみに同じ年の 日本レコード大賞 の最優秀新人賞は 立花理佐 が受賞)。
ニックネームはデビュー当時は「 のりっぺ 」( 福岡学生時代のニックネーム )だったが、ある時期を境に「 のりピー 」と名乗りだす。
そのころより「 のりピー語 」と呼ばれる言葉を使い、「 ヤッピー 」 「 いただきマンモス 」 「 うれピー 」などといったフレーズを流行させた。
アイドル時代の活躍は多岐に渡る。芸能活動のほかにイラストレーター・ 漫画家( ペンネームは平仮名の さかいのりこ )としても活動し、少女漫画雑誌 『 週刊少女コミック 』 に 漫画の連載を持ったこともある。
中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター「のりピーちゃん」は、日本自動車工業会 の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ 「 NORI-P GOUSE (現在は?)」 で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担っていた。
1990年代以降、東アジア( 台湾、香港、中華人民共和国 など )では日本での活躍と比較しても異様と思えるほどの人気があり、中国語の楽曲も多く発表している。
1992年5月10日と、翌 5月11日に行われた自身初の海外公演である台北市立総合体育場でのコンサートは、台湾における日本人初のワンマンショーとなった。
その頃から女優としても本格的な活動が始まり、『 ひとつ屋根の下 』『 星の金貨 』などの出演テレビドラマが大ヒットする一方、『 星の金貨 』の主題歌として自ら歌った『 碧いうさぎ 』がミリオンセラーとなった。
デビュー9年目にして 1995年 の 第46回NHK紅白歌合戦 へ念願の初出場を果たし、ドラマの設定もあり紅白史上初めて手話を交えて歌った。
アイドル時代のファンからは、続編主題歌の『 鏡のドレス 』と共に、“従来に比べて落ち着き過ぎ”の評もある。
1998年にプロサーファー ・ 高相祐一氏とできちゃった結婚。 1999年7月18日、長男を出産。 現在は1児の母。
2000年に産休から復帰したが、デビュー当時からの担当マネージャーだった溝口伸郎が自殺。
その後、子育てと女優活動を両立しながら、2003年にはファッションブランド 「 PP Rikorino 」 を立ち上げるなど、現在もマルチに活動している。
但し、このブランドは所属事務所であるサンミュージック と 伊藤忠商事との契約であって酒井個人のものではなく、あくまでも所属事務所の仕事のひとつにすぎない
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酒井法子・写真 画像
酒井法子
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